2010年9月7日火曜日

アシュリー・ヘギ

小さいときからよくからかわれたし、
いまもからかわれることはあるけど、
そういうときは、
「あなたにも同じ血管があるのよ」って説明するの。

それでもからかうようなら、もう放っておくの。
それはわたしの問題じゃなくて、
彼らの問題だから。

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プロジェリアじゃなければいいのに、なんて思わないわ。
わたしは、わたしという人間であることが幸せだし、
神様がわたしをこうお創りになったのには、
きっと理由があるはずだもの。

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もしかしたら神様は、
“わたしはプロジェリアだけど、こう生きている”
ということを人に見せなさいって、
その機会をお与えになったのかもしれないって思うの。
この病気をとおして、
人を助けなさいということかもしれないって思うの。

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わたしのことをかわいそうだって言う人がいるわ。
でも、その人たちはわたしじゃない。
だから、そう言うんだと思う。
だってわたし、自分のこと、
かわいそうだって、ちっとも思わないもの。

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わたしは、人の前で悲しい顔はしたくない。
笑顔でいると、みんながハッピーになるでしょ。

*****

ハッピーでいられる自分が好き。
悪口を言われたときでも、
誰かがわたしに怒ったときでも、
相手に対して怒らないでいられる自分が好き。

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嫌いなところはひとつもないわ。
たまにはね、イラついちゃうときがあって、
ちょっと嫌いになりそうになるけど、
そういうときは、
なぜ、わたしは怒っているんだろうって考えて、
気持ちを落ち着けるようにしているの。
そうすると、こんなことで怒るなんて意味がない、
バカみたいだって思えてくるの。
で、それで終わりにするの。

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わたしはいつも前向きでいたい。
前向きになれないときが
これまで1回か2回はあったかも。
でも、ほとんどないな。

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自信を失ったこともないわよ。
だって、自信を失わされるようなことが
起こったことなんてないもの。

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人はこうなのに、自分はこうだとか、
誰かと自分を比べて、どうこう考えたりしない。
誰だって完璧じゃないもの。

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ひどいことを言われて相手に怒りを感じたときは、
その人に怒り返さないように、自分に待ったをかけるの。
そこにいたらきっと言い返してしまうから、
「ちょっと失礼」って別の場所に行って、
一拍置くようにしているの。

一拍置いて、いま起きたことを考えてみると、
憤りが相手にそういわせたんだってことが見えてきて、
自分の中の怒りや悲しみが消えていくの。

人が怒っているとき、相手に対して、
本心から思っているんじゃないようなことまで
勢いで言ってしまったりすることがあると思うの。
言い争いをするとときって、
売り言葉に買い言葉になっちゃうでしょ。
そんな怒りのシーソーゲームを続けていても、
なんにもならないじゃない?
だから、こうしようって決めたの。

*****

もしも、わたしが誰かから
あなたにはあと24時間の命しかありませんよ、
と言われたとしても、
それで困ったりはしないわ。

死は誰にでも訪れるもの。
恐れるなんて、
意味がないことだと思う。

*****

なぜ、ここにいるのか、
それはわからない。
でも、わたしたちがここにいるのには、
何か目的があるはずだと思うの。

*****

わたしはハッピーに生きたい。
ほかの人たちを勇気づけられるように生きたい。

*****

生きるチャンスを与えられているんだもの。
わたしは、自分の定められた時間がくるまで、
すこやかに生きていきたいと思っているわ。

*****

わたしたちの祈っていることに対して、
神様がそうしたいとお思いになったときは、
必ずかなえてくださるんだと思っているわ。

*****

いまは、特別な夢ってないの。
家族がずっとずっと健康で
幸せでいてくれたら、それでいい。

自分がいま得ているもので十分幸せだと思うから、
それ以上、ほかに思いつかないわ。

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これからどうなりたいかって?
ハッピーで、みんなを勇気づける人になりたい。
人の助けになれる人になりたい。
愛情にあふれた人になりたい。



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生後3か月ごろから皮膚が硬くなりはじめ、さらに髪の毛が抜けはじめるが原因はわからなかった。
生後9か月ごろ、たまたま担当医がプロジェリアの記事を見つけたのがきっかけとなり病気が判明した。

プロジェリアの平均寿命は13歳と言われるが、アシュリー・ヘギはそれを越える17歳まで生存し、プロジェリア患者としては最高齢であった。
2009年4月21日他界。17歳没。
(合掌)

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