明日ありと
思う心の あだ桜
夜半に嵐の
吹かぬものかは
養和元年(1181)、松若丸9歳の時(親鸞上人)、
京都東山の青蓮院を訪れ、出家得度を願い出られました。
得度を明日にしよう、と言う青蓮院の慈鎮和尚に示されたお歌は有名です。
「明日ありと
思う心の あだ桜
夜半に嵐の
吹かぬものかは」
「今を盛りと咲く花も、一陣の嵐で散ってしまいます。
人の命は桜の花よりも、はかなきものと、聞いております。
明日と言わず、今日、得度していただけないでしょうか」
出家の動機はただ1つ、
「自分も必ず死んでゆく。死ねば、どうなるのだろうか」
という切実な無常観でありました。
比叡山に登られた聖人は、「自分も必ず死んでゆく。死ねば、どうなるのか」、
この生死の大問題の解決をすべく、決死のご修行を開始されたのです。
0 件のコメント:
コメントを投稿