あなたには、
どれだけの「できる」がありますか?
~かめおかゆみこ~
私の末の妹は、
重度の脳性小児麻痺で生まれました。
目も見えず、
耳も聞こえず、
もちろん、
しゃべることなど、
まったくできませんでした。
生まれたときから、
手足も動かず、
寝返りひとつ打つこともできず、
ハエが止まっても、
払うことさえできません。
(ハエが止まったことを
感知できていたかさえわかりません)
物を噛むこともできないので、
食事のときには、母が、抱きかかえ、
流動食を、一口一口、
スプーンですくっては、流しこんでいました。
妹は、何も、何ひとつ、
できませんでした。
5歳の夏に発作を起こして、
あっけなく、私たちと別れを告げるまで、
ずっと、
ベッドに横たわったまま生きていました。
けれども、ただひとつだけ、
妹にできることがありました。
それは、母が近づくと、
笑うことでした。
笑うといっても、顔面も麻痺しているので、
笑ったような気がする、というだけですけれど。
目は見えません。
耳も聞こえません。
どうして、
母だとわかったのでしょうか?
それでも、妹は、
たしかに反応したのです。
母が近づいた、そのときだけ。
私たちは、
現実を生きていると、
たくさんの「できない」ことに、
行く手をはばまれます。
でも、そんなときでさえ
振り返ってみてください。
あなたは、
目が見えますか?
耳が聞こえますか?
口がきけますか?
手足が動きますか?
触覚はありますか?
匂いを感じることはできますか?
それらはすべて、あなたの「できる」です。
笑えますか?
泣けますか?
怒れますか?
その感情を、
何かのかたちで、伝えることができますか?
それらはすべて、あなたの「できる」です。
「できない」に目を向けるのではなく、
あなたの「できる」に、目を向けてください。
あなたは、
私の妹がほしかった(であろう)ものを、
すべて(あるいは、いくつも)
持っているのです。
その動く手で、なぜ、
つかもうとしないのですか。
その動く足で、なぜ、
歩いていこうとしないのですか。
あなたには「できる」のです。
あなたには、絶対「できる」のです!
あなたが、
「できない」を見つめているあいだ、
私の無数の「妹」たちが、
あなたの「できる」のために、
祈りつづけています。
あなたが、
「できる」を見つめて生きるとき、
その一挙手一投足が、
私の無数の「妹」たちの、喜びになります。
どうぞ、
無力感におそわれたとき、
希望など何もないような気持ちになったとき、
あなたの「できる」を振り返ってみてください。
必ず、あります。
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